連載50回記念企画 ぱそ次郎に聞きました

 

 人気連載「ぱそ次郎のコンピュータ講座」が、ついに50回目を迎えました。そこでWhenever編集部では、記念と感謝の意を込めて、「ぱそ次郎のいる会社」こと、北京星流信息技術有限公司の須藤健総経理にお話をうかがいました。この節目に、ぱそ次郎について、そして北京でのPC事情について、一緒に振り返ってみましょう!
(2007年10月号)

連載開始時のぱそ次郎はかなり毒舌だったんですよ!

☆50回おめでとうございます!
須藤(以下S) ありがとうございます。2003年9月号の連載開始当初は6回の約束だったのですが、反響が大きくて、続投が決ってそれがいつの間にかゼロが一個増えて50回になりました。

☆ぱそ次郎と須藤さんの関係はどれくらいになりますか?
「ぱそ次郎のコンピューター講座」が始まる前からの付き合いです。北京にフリーペーパーがなかった頃に、日本人会に広告を出していました。「コンピューターに詳しいぱそ次郎がいる会社」といった感じで。初期のぱそ次郎は、カエルではなかったんですよ。

握手 ぱそ次郎

☆ということはおたまじゃくしだったのですか(笑)?
S 人間の姿でした。よくよく考えればあれば、とある企業のマスコットに似ていましたね(笑)。それが、ウェネバーでの連載開始の時に、カエルになりました。ぱそ次郎=須藤さんですか?とよく聞かれますが、それは秘密です(笑)。

☆ぱそ次郎と須藤さんが北京に来られたのは?
S 私がちが北京にやってきたのは1995年です。北京星流の設立は97年ですが、95年には、前身の会社がありました。業務内容は、今の北京星流とほとんど同じ。ネットワークの接続業務、PCの故障のトラブルシューティングが主な仕事でした。

 

 


☆北京での当時のPC方面のインフラはいかがでしたか?
S 中関村の原型となるバラックがすでに出来ていました。当時の日系企業というと、ホームページもEメールもありませんでした。連絡手段と言えば、電話とFAXのみ。そこで、発展大廈の日経企業に営業をかけてみました。「日本と安く通信ができすよ」って。でも、プロバイダーがなかったので、清華大学、北京大学、中関村の科学院を調査していたら、メールサーバーとウェブサーバーを個人で立ち上げた教授さんと出合った。そこで、「プロバイダーを一緒にやりませんか?メルアドを外部の人間に発行すれば小遣い稼ぎになりますよ」って打診してみました。

☆ぱそ次郎と須藤さんが、北京でのプロバイダー立ち上げに貢献していたということですね?
S 中国科学院の計算機センターのプロバイダー設置を手掛けました。そこに日本人に十数名加入してもらって、知る限りで日本との初のEメール交換を実現しました。まだ、BTA(中国電信)、CNC(中国網通)など、民間のプロバイダーがなかった時代の話です。

☆2003年の連載スタート当時を振り返るといかがですか?
S 連載を始めたばかりの時のぱそ次郎、ずいぶんと好き勝手なことを言ってて、かなり口が悪い(笑)。それが年月を重ねるにつれて、落ち着いてきたようですね。きっと、おたまじゃくし気分が抜けて、成長したのでしょう(笑)。

ぱそ次郎

☆反響が大きかった回は?
S 上網カードや検索エンジン対策など、ビジネス関連の情報の他、北京一年生のPC講座やVCDネタなど、生活に密着した内容の反響も大きかったです。ぱそ次郎のコーナーを切り取って握り締めて弊社に来てくださるお客様や「これを読んでいたおかげで帰国してからも最新PC事情についていけました」と、日本からメールをもらったりしました。本当に励みになります!

☆本日はありがとうございました。今後の目標についてお聞かせ下さい。
S 「早すぎず、シーンを一歩先取る情報」を紹介できればと考えています。「ぱそ次郎」で紹介してから、「あのことだ。。」ってなってくれればうれしいです。

次回は「PCでいい音を聴きたい(1)」だよ。